ニセコ の田舎暮らしで気づいた、マクドナルドが長年愛される理由

Ronald’s Lament ドナルドの嘆き @Nashy, 2021

初のエッセイでは、便利な東京を離れ、北海道・ニセコ での田舎暮らしをはじめてみて感じた「マクドナルドが愛される理由」について、私なりの考えをお伝えできたらと思います。

「マック食べたい」は突然にやってきた。

ニセコ 暮らしを始めて約1週間した頃、どこからともなく湧き上がった食欲。それは「マクドナルドが強烈に食べたい」というものでした。

さっそくGoogle MAPで最寄りのマクドナルドを探してみると......

なんと、ニセコ にはマクドナルドが無かったのです。
マクドナルドが食べたければ、小樽(おたる)という町まで出向かねばなりません。小樽まではニセコ から車で約1時間半。

小さな食欲は渇愛へと変わっていきます。

マクドナルドを求めて小樽参り。

小樽は、小樽運河や歴史的建造物等の景観をはじめ、工芸品、海の幸が豊富で観光客を魅了してやまない町として有名です。しかし、今回ばかりは、観光は二の次です。

1時間半のドライブを終え、いざマクドナルドへ。

決して短時間ではないドライブに疲れ、おなかもぺこぺこの状態であり、マクドナルドを受け入れる準備はMAXに高まっています。

しかし、店に到着するやいなや、私の口からは予想外の言葉が出てきました。

「......今回はやっぱり(マクドナルドを)食べなくていいや!」

あれだけマクドナルドを食べたかったのに、ここまで来ておいて、どういう風の吹き回しなのか、最初は自分でもよく理解できませんでした。

重要な事実を忘れていました。何を隠そう、私は普段、あまりマクドナルドを食べません。マクドナルドは好きですし「食べないようにしている」とかではないのですが、家の近くに無いのでわざわざ行かないのです。

それなのに今回、普段は食べないマクドナルドを突然に欲し、わざわざ遠方のマクドナルドまで足を運び、結果、何も食べずにマクドナルドを後にした理由は何故なのか…。

今回の事例に学ぶ、マクドナルドが長年愛される理由とは

都市部ではいたる所に見かけるマクドナルド。たとえ田舎町に住んでいても、隣町まで30分もドライブすれば、「いつもそこにある」のがマクドナルドではないでしょうか?

いつもそこにあるものがない、いつも見かけるものを見かけない違和感。当たり前のものがなくなった時、その存在の大きさに気がつくのは人間の性なのだと思います。

ニセコ エリアでマクドナルドを見かける機会がなく、最寄りのマクドナルドまでは1時間半という状況から「マック食べたい」の先にある、「ハンバーガーが食べたい」というニーズよりも、「マクドナルドの存在がなくて寂しい」という気持ちのほうが大きかったのかもしれません。

まさか、ニセコ でマクドナルドの底力を垣間見ることになるとは。

物心ついた頃から常に、自然に、そこにありつづけるマクドナルド。ハンバーガーの美味しさ以前に、そこに存在するだけで、醸し出される安心感。それがマクドナルドの存在価値のひとつであり、長年愛され続ける所以なのではないでしょうか。

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