ニセコ に住む人々 #08 Yさん再び - 縁は人が運んでくれるもの

Walk with the Locals @Nashy, 2021

当シリーズ「ニセコ に住む人々」は、私がニセコ で出会った人々をこっそりと取り上げ、そしてまたその人との関わりから学び取ったことをこっそり紹介している記事だ。

▼これまでの記事はこちらからどうぞ

#01 プロ・スノーボーダー Eさん - 幸せの在り方は人それぞれ
#02 不動産会社 Tさん - 陳腐な同情なんていらなかった
#03  "おとなりさん" - りんごケーキ2切れを6人で食べる
#04 整骨院院長 Dさん - 何歳になっても、挑戦し続ける
#05 Yさん - オトナの秘密基地で産声をあげた、1人のイラストレーター
#06 石油の小西さん - 固定概念をぶち壊す、バター飴
#07 画家の徳丸滋先生 - いつからでも、いつまででも

2020年12月よりニセコ にお試し移住をしていた我々は、2021年8月より長らくベースとしていた東京を離れ、正式なニセコ (倶知安町)の民となった。

ありがたいことに、日を追うごとにどんどんと人との出会いが増えてきている。ニセコ は、インターナショナルな町とはいえ、田舎の小さなコミュニティベースであることに変わりない。そうなると、誰のことを書いているか、ピンとくる人には検討がついてしまうだろうから、これまたこっぱずかしい。ちっちゃな社会に、常にオンラインで繋がれるSNSサービスがあるというのは、なんだか大変な時代になったものだ。笑

現に、以前紹介した#03回の”おとなりさん”夫婦、#05回のYさん、#07回の徳さんとはすっかり顔馴染みで、親しい間柄になっている。

つまり、こんなラブレター的な記事をこっそり書けるのも時間の問題ということである!

そんな照れ心と、それでも書きたいという思いを胸に、今回は#05回で登場したYさんにもう一度登場していただき、Nashyの感動と縁がつないでいくストーリーをお届けしたい。

そして、この記事があなたの身近にあるご縁を再認識するきっかけになればいいなと願っている。

Yさんとの再開

Yさんとは、昨年冬に、”おとなりさん”繋がりで出会った。Yさんは、当時の私を「イラストレーター 」にしてくれた恩人である。

先日”おとなりさん”の誕生日祝いの集まりがあり足を運ぶと、どこかで見たことのある人がいるのに気がついた。

1年ほど前の記憶が瞬時に舞い戻り「もしかしたらYさんかも...!」と思い、おそるおそる「もしかしてYさんですか?」と話しかけるとやはりイエスであった。

それから「去年バーでお会いしたんですよね。”おとなりさん”つながりで...」なんて話をもちかけるも、想像どおりYさんは「えー!いつだっけー?」といった様子であった。何せ約1年ぶりの再開なので、無理もない。

それから連絡先を交換し、日を改めてお会いすることになった。1度目はカフェで。2度目はYさんのご自宅で夫婦ともどもお邪魔させていただいて。

たくさんのお話をし、くわえて「Yさんと出会っていなければ、アーティストとしての活動をスタートできていなかっただろう」という感謝を打ち明けると、Yさんはそんな私の気持ちを快く受け取ってくれた。

ご縁を逆再生してみよう

......ちょっと待てよ、と思った。Yさんは私をイラストレーター にしてくださったわけだが、そんなYさんと出会えたのは、誰のおかげだろうか?

......そう、”おとなりさん”なのだ。

「”おとなりさん”と出会わなければ、Yさんにも出会えていなかった」と思うと、今度はいよいよ”おとなりさん”への感謝が溢れてくる。

そして脳内逆再生ゲームは続く。

”おとなりさん”に出会えたのは、”おとなりさん”の隣の物件を紹介してくれた不動産会社のTさんがいたからにほかならない。

そしてTさんがその物件を紹介してくれたのも、家のオーナー様が物件を貸してくれるからだ。

「えーーーー!やばーーーー!」

こんな調子で、1人で縁を連鎖させて感動しては、興奮しているのであった。

人をつないでいく縁

ご縁の逆再生により、ひとりでお祭り状態だったが、キリがないので話を戻そう。

いま振り返ってみると、Yさんにお尻をたたいてもらい「Nashy」と名乗ってからもやはり、人がご縁を運んできてくれてばかりであると感じられた。

活動当初、おそるおそる絵を作ってみてSNSに載せると、友人がそれを欲しいと言ってくれ、さらにニセコ で長年フリーマガジンを発行しているKさんよりお声がけをいただいて、絵を手渡すことができた。そして、KさんもYさんのようにこれまたお尻をたたいてくれたのである。

話が脱線するが、「イラストレーター 」と名乗りだしたころは、本当に一触即発の状態というか、公に向けて自らをさらすのは、本当に勇気がいるし、泣きたいくらい怖かったのだ。(正直今でも怖い。)Kさんに「事業を始めた時、どんな気持ちだったのですか?」と聞くと、「SCARY!」(恐怖!)と一言で返答してくれたのが印象的だった。みんな最初はそんな気持ちなのかもしれない。

でもそれからは、ニセコ 在住のファミリーからNashy初の制作依頼をいただいたり、ローカルビジネスのプロジェクトに携われる機会や海外の案件をいただいたりと、人に助けられ、Nashyはなんとか1年ほど、活動をしてこれた。大変なこともたくさんあったはずだが、そういうことほど、都合よく忘れてしまう。ちなみに巻き添えを喰らう夫はよく覚ているのだろうと思う。(私が大変=私をケアする夫も大変ということだ)夫には毎日感謝だ。

おまけに、Yさん繋がりのイラストレーター さんとも繋がることができて、絵描き仲間も増えた。

本当に縁とは不思議なもので、大切に大切にしたいと思わされる。

その当時は見えていなかったもの

上記をまとめると、物件を紹介してくれたTさんを起点に置いて、次に”おとなりさん”→Yさん→Nashy誕生→様々な人たちとのご縁に恵まれるということを書いた。

ちなみに当時、こうしたご縁がのちのちに繋がっていくことを予想していたか?というと、100%・NOだ。

こういう、"流れみたいなものに身をまかせその時その時を大切に過ごしていたら(というか、目の前のことで必死になっていたらw)、なんか気付いたら景色が豊かになってました"、的な雰囲気だ。

この経験から学べるポイントは、出会ってきた人々や、その時々に関わりのある人やものごとを大事にしていたら、もしかすると「ご縁」というのは、自らがむしゃらに掴みにいかずとも、時として相手が運んできてくれたりするのかもしれない、という気づきある。持ち前の他力本願っぷり全開な結論ではあるが、なんだか本当にそれを肌で感じている。もちろん、ケースバイケースではあるが。

そして、あとから過去に起こった色々な事象のつじつまがあってきたり、スティーブ・ジョブスの言うところの「Connecting the Dots」=点と点が線につながり、徐々にビッグ・ピクチャーが見えてくるということがあるのかもしれない。

なんにも見えなかった1年前から比べると、ちょっとだけ見えてきた今があり、さらに来年にはもっと見えるようになればいいなと思う。とはいえ、やることはいたってシンプルだ。これからもご縁を大事に、いま目の前にいる人やお仕事、ものごとに全力で向き合うこと、これに尽きると思う。

繰り返しになるが、この記事があなたの身近にあるご縁を再認識するきっかけになればいいなと願っている。

P.S. 先日、夫のマイケル氏がYさんの旦那様とバックカントリーをしにニセコ の野山に遊びにいった。親子ほどにも歳が離れているが、年齢関係なく人は友人になれるという嬉しさや豊かさみたいなものを感じて、今日も私はニセコ で何てことない日々を過ごしている。

そして、こっそり書けるうちは…!、引き続きこうしてニセコ からの気づきをこっそりお届けしたいと思っている。

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