「自分がそこに居ないこと」を恐れてやまない人たち
最近、私は「春」を感じている。
「春」とは一言に言っても、桜をはじめとする草木・花たちの芽吹きや開花、花粉、つめたさに暖かさが混ざる風、やわらかな日差し、浮きたった人の心、変質者の出現、身近な人の門出、学業や仕事の新たな年度の始まり...と、「春」を形容するには様々な対象があるだろう。
あなたは何に、春を感じるだろうか?
私は、「スキー場の雪が溶け始めたこと」に、春を感じている。
FOMOまつりの現代
「FOMO」ということばをご存知だろうか?
"Fear of missing out"の略で「フォゥモゥ」と読む。SNS最盛期の現代によく見られる心理で、「自分のいないところで、あの人こんなことしてる!ぐぬぬ...」という、SNS疲れのあれだ。現代っ子は、みな経験済みかもしれない。
"FOMO(Fear of missing out、フォーモ、取り残されることへの恐れ)は、自分が居ない間に他人が有益な体験をしているかもしれないという不安に襲われることを指す言葉である。 社会的関係がもたらすこの不安は「他人がやっている事と絶え間なくつながっていたい欲求」という点で特徴づけられる。「見逃しの恐怖」とも。(以下略)
『ウィキペディア(Wikipedia)』より
そうした社会的なFOMOに限らず、「機会を損失したくない!」という感情もFOMOのひとつである。
「期間限定!」のパッケージに武装されたコンビニ商品、たいしてアップデートされていないが欲しくなる「新iPhone」、「空室残りわずか!」と急かしてくる宿選びサイト、人を煽るようなブログやYouTubeのタイトル、「乗ったもん勝ち!」的な社会的現象を起こしたclubhouseようなSNSの出現といい、それはもう、私たちの生活の至る所にFOMOは横行している。
期間限定のパウダースノー
私は現在、北海道のニセコ に住んでいる。ニセコ といえば、世界屈指の上質なパウダースノーで有名である。
言うまでもないが、そんな上質なパウダースノーは「期間限定」だ。
2月は上質な雪が降り続いた。そんななか、私は2月はじめに膝を痛め、なんと3週間も、ゲレンデ に行けない日々が続いたのだ。(詳しくはこちらの記事にて↓)
その状態で、パートナーのマイケル氏がるんるん♪とスノーボードをしに行く姿を、泣く泣く見送る自分は、まさにFOMO状態にあったと言えよう。
FOMOは生まれ続ける
では、怪我から復活したら、FOMOがなくなるか?と聞かれれば、答えは「NO」であるから人間は複雑だ。
今年のニセコ は本当に贅沢だ。観光客が少ないので、ゴンドラ やリフトは待たずに乗ることができる。これは、例年ではあり得ないことで、すごい時には「長さ30m、幅6mの列を見て、萎えて帰った」という地元民にも出会った。
今年は、朝10時にゲレンデ に行っても、まだファースト・トラックが残っている。そうと分かりながらも、我さきに、と急がずにはいられないのである。
人間の性というのはおもしろいもので、今自分がどれだけ望んだ環境にいようとも、それに慣れてしまい、またそこからFOMOが生まれるのだ。
いつ、FOMOを抱える人に平和が訪れるのか
3月に入りまもなく、ナイター営業が終了した。ニセコ の冬の夜を照らしていたナイターが終わり、夜空に闇が戻ると、いよいよ春だなあ、という感じがする。
こちらでも気温があたたかくなってきて、2月まで続いたような、どか雪のパウダースノーはなくなり、降っても数センチ程度だ。
雪山からは、自ずとスキーヤーたちが姿を消していく。
そうして、ゲレンデ に平和が訪れる。良い雪がなければ、人がいなければ、我さきに、といったピリピリ感も生まれない。
春は、雪を溶かすだけでなく、心の強張りをも、溶かしていく。
そう、FOMOを抱えた人たちの心に平和が訪れるのは、「機会がなくなったとき」だ。パンデミックの影響で、自分だけではなく「世界が一時停止」したとき、FOMOの渦から救出された人は少なくないと聞く。
つまり、私にとって、機会そのものとなる雪がなければ、FOMOも感じないのである。ウィンタースポーツをする身として、雪はなくなってほしくないのに、一方で、機会がなくなりホッとしている自分の、なんと滑稽で虚しいことか!
FOMOを抱える人への処方箋
私はゆるふわでヨガをやっている。ヨガ哲学で好きなのが「サントーシャ」という教えだ。日本語では「知足=足るを知る」という意味だ。これにまさる処方箋はないだろう。
この「足るを知る」の難しさといったら、ありゃしないのだ。シンプルだが、幸せでいることの真髄にあたるような気がする。だが、意識していないとすぐ忘れてしまうことなのだ。
あとは、FOMO疲れした人から自然と派生したJOMO(Joy of missing out)「ジョゥモゥ」(←書いていて、笑えてきた)という考え方も有効だろうか。入ってくる情報を意図的にコントロールしたり、減らしたりして、「お見逃し大歓迎!」というゆったりとした姿勢で情報と付き合う方法。
いつか、悟りを開いて、「スキー場の雪が溶け始めたことに、心の春を感じている自分」を笑い飛ばせる日が来ることを願ってやまない。