アートの見方がわからない

今回は私の恥部をさらけ出したいと思います。

お恥ずかしながら、アートの見方がわかりません。私自身、アーティストと名乗り、2020年より現役美大生であるにもかかわらず、です。

アート作品を見ること自体はとても好きです。作品の背景を知りたいタイプなので、そこにアーティストや作品の紹介ボードがあった時は欠かさず読みます。でも、はやる気持ちを抑えて、作品よりも先に見ないように心がけています。作品を見た後は答え合わせをするかのように、食い入るように文言を読むものの、書いてある内容が抽象的すぎるとピンとこず。さらにその文章と作品がどうマッチするのかが分からなくて、謎は深まるばかり….。

そうなると、「分からない私が鈍い?」「この人は私の理解しえない超越した場所から世界を見ているの?」と置いていかれるような気持ちになったり、言葉が悪いのかもしれないけれど、少し挑発・挑戦されているような気持ちにもなることもしばしば。よくわからないことを言っていたほうが奇をてらっていてアート「っぽい」のかな、なんてひねくれてみたりもする。(私いやな奴だな)

「わからなくて良い」「正解はない」「自由に解釈して良い」という慈悲深く美しい正論を自分に突きつけてみたりもするのですが、やっぱり気持ちは晴れない。「どうにかこの人の言っていることを理解したい」という気持ちが根底にあるのでもどかしいのです。そしてそれ自体が、もはや純真無垢の好奇心なのか、単なる私のエゴなのかも分からなくなってくる。

そしてそんな感情を抱くのはきっと私だけではないはず。これこそ、アート=崇高なもの、だとか、よく分からないもの(わかる人だけがわかる、人を選ぶもの)とか言われる所以なのかもしれないと思います。

しかし何せアートを生業にしている私にとって、自分が取り扱っているテーマをうまく扱えていない、というのは情けなく、やるせなく、それはもう長いことソワソワしていました。

そんな時、ふと友人との会話を思い出しました。

その友人はお酒、とりわけ日本酒に詳しい。酒蔵の方と広く繋がり、日本酒のイベントやビジネスごとなんかもよく主催側に回りヘルプしたりするほど。

私はその友人と日本酒を交わしながら「日本酒は美味しいし好きだけど、語れるほど詳しくはないし、正直それぞれの違いや美味しさの基準もよくわからないなぁ。」と話したことがありました。

そしたら友人は「私も分かってるわけじゃないけどね。美味しいの基準は、私がその味が好きか、好きじゃないかくらい。」と言うのです。

これは目から鱗でした。

「それでいいんだ!」と思いました。「好き」と「分かる」は切り離してもいい。分からなくても好きでいい。味の違わぬ日本酒1本に対して、人の味覚は数千とおり。そして、こんなに日本酒に精通している友人ですら「好きか否か」そんなライトな感覚で日本酒を楽しんでいるんだ、と肩の荷が降りるような気持ちでした。

世間から良い評価を受けていて人気だから、プレミアムでお値段が高いから、すごい技法で作られた日本酒だから、「美味しく感じなきゃいけない、美味しく感じなかったら私が足りてないのかも」なんてことを考えがちな私は、もっと自分とそのお酒の一対一の対話を大事にしたらいいのだと思いました。そして、それを堂々と人に言ってしまっていい。むしろ言ってしまったらいい。

こんなことを思い出した今、アートを見る時も、もしかしたらこのくらい無防備で、手ぶらな感覚でいいのかも、と思いました。これまで、自分がちょっとまじめすぎたのかもしれない。神経質になって、アート作品を見ることを純粋に楽しめていなかったのかも。

「あ、なんかいいな」「ちょっと嫌な気持ちになるな」とか、そのくらい平たく。周りがどう言っているのか、とか、知識で武装した自分は二の次で、「自分がどう感じるのか」それだけで十分なのかもしれません。

展示会に訪れても、作品ひとつひとつとまじめに向き合わなくていいし、興味が湧かなければさーっと素通りしたっていいと思うんです。相手が何を伝えようとしているのか、頑張って解釈してあげなくてもいい。誰からも頼まれてもいないですしね。(笑) ノイズになってしまうのであればアーティスト/作品の説明ボードだって見なくたっていい。

ただ、一つでも、足を止めたくなったり、語りかけてくる作品があれば、それは他の誰でもない、あなたとその作品だけの唯一無二の対話がそこには生まれるのだと思います。

さて、「アートの見方がわからない」というタイトルでお送りしました。私自身まだまだ模索しているテーマであり「そもそもアートとは?」みたいなところから問いだしたらキリがないですが

とりあえず今時点では「あれこれ考えず好きかどうかでいいんじゃない?」というところに着地しました。後々にこのブログを読んだときに「うわぁ、何言っていたんだろう当時の自分」と赤面するかもわかりません。

でも、自分に「アートは気負わず見ていいよ」と許可を出してあげることができた今はなんと・・・!

東京都美術館で開催された大規模なデ・キリコ展も、会場を誰よりも早足で駆け抜けた結果、ものの30分で見終わり、感想を聞かれたらびっくりするくらい何にも残ってない。

「波の描き方がよかったな」とかそのくらいです。でもこの一握りの砂のような記憶が尊いですし、デ・キリコ作品と私だけの薄っぺらいけどオンリーワンの対話になったのです。

かくして私は「アートの見方がわからない自分」から卒業したのでした。

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